年間でも数人ほどしか日本人は訪れないだろうという、辺境の村バブーパーラ。しかし他のインドの街同様に、繁華街では大勢の人が行き交い活気に満ちあふれていた。



家庭で紡がれ、染められ、織られる、今は珍しいハンドメイドファブリック。



インダス文明が興った7000年前から綿花の栽培が始まり、現在も世界一の綿花生産国となっているインド。かつてはイギリスによるインドの手織物の弾圧が行われ、産業が荒廃した時期もあった。しかし独立の際に復興し、彼の地は今なお良質な綿織物の生産地としても名を馳せている。そんなインドの織物の中でも特別視されている「カディ」は、手紡ぎ、手織りされている綿織物。機械で紡がれた糸と異なり、手で紡がれた糸は不均衡で糸むらができ、これが通気性と心地よい肌触りをもつ生地を生む。カディは吸湿性、速乾性にも優れ、夏は涼しく冬は暖かく感じるので、インドの人々に親しまれている生地である。インド独立の際にも大きな役割を担ったことにより“The freedom of fabric(自由の布)”とも呼ばれている。



「スワデシ(国産品主義)が無いスワラジ(独立)は、生命が無いただの屍に過ぎない。そしてスワデシがスワラジの魂であるならば、カディこそがスワデシの根幹だ」。これはインドがイギリスに統治されていた時代、かのマハトマ・ガンジーが残した言葉。イギリスから独立するためには自国の産業を作り、自分たちがカディを身に纏うことによって、独立に対する団結力を高められる。そう考えたガンジーは、イギリスの機械織物に対する対抗手段として手織物を推奨。自ら各地を回り、糸を紡ぐことを教え、この綿布の普及活動を行ったという。



「インドを非暴力的手段で守る唯一の武器はこのチャルカ(手紡ぎ器)です。インドの本当の独立はこのチャルカから紡ぎ出される、カディ無しには考えられません」。そう語ったガンジーの思惑通り、チャルカは瞬く間にインド中に広まり、手紡ぎの織物産業が復興。何十万人の人々が仕事に従事できるようになり、人々はカディの元に心をひとつにする事ができた。結果、インドが独立する大きな足がかりとなったのだ。カディコットンの輸出を先祖代々おこなっている現地スタッフと共に、その作り手を訪ねた。インドの東端に位置するコルカタ空港まで飛び、7時間車を走らせてたどり着いたのは、西ベンガル州の片田舎、バブーパーラ。到着を告げられ車を降りたものの、工場らしき建物はどこにも見当たらない。そこには土で作られたような素朴な家が立ち並んでいるだけだった。



しかし、確かに村全体からガシャン、ガシャンと音が聞こえてくる。ふと家の中を覗いてみると、音の正体は織り機だったことに気がついた。カディは家内制手工業として生まれたので、今でも工場ではなく各家庭で作られるのが慣例となっている。布作りのノウハウは、親から子どもへと伝えられるのはもちろん、仕事のない女性が内職にできるようにと地域住民が技術を教えているという。今だにガンジーの精神はカディに息衝いていて、このエリア同様に失業者が出ないように取り組んでいる村も少なくない。






一口にカディといっても、地域や家庭によって仕上がりが異なり、それぞれに特色が出るようだ。特に今回訪れた村では、細番手の糸を紡ぎ出して繊細なカディを織ることを得意としていた。話によると、インド広しといえどここまで細く糸を紡ぎ、ふわりと織る技術があるところは他にないという。カディの柄はベンガラ縞と呼ばれる伝統縞をはじめ、チェック、幾何学模様などの織り柄、無地と様々。しかし、不思議と家だから作られるムード、色使いがあるように感じられる。着ているだけで優しい気持ちに包まれる、“The freedom of fabric”。様々な生地が世の中に溢れている中で、カディを通してハンドメイドの良さがまた改めて評価され始めている。



何人もの人々が手間をかけて作られた完成したADAM ET ROPÉのアイテム。生地からぬくもりを感じられるのは、質の良さだけではなく、想いが詰まっているからだろう。



Photographers: Junpei Ishikawa, Kentaro Yamada
Writer: Junpei Suzuki