伝統的な先染め平織りの綿織物。丈夫で使うほどに馴染む、東北の普段着を今に伝える。



伝統というのは、その土地に必要として生まれ、必要とされ続けているからこそ受け継がれるもの。夏は蒸し暑く、冬は雪深い福島県の北西部、会津地域に伝わる木綿もまさにそうだ。日本で綿花の栽培が盛んになったのは意外にも最近で約500年前のこと。柔らかくて着心地がよく暖かい綿は、それまで衣服に使われていた麻に変わって、普段着の素材として徐々に定着していったのだという。同地では寛永年間に当時の藩主が主導して綿の栽培が始まり、雪深い会津での冬の生業として織物も盛んになっていった。伝統織物というと特別なものと考えられがちだが、着物に使われている紬など、特殊でさらに手間がかかる生地を除けば、木綿は現代のデニムのような感覚でカジュアルに使われていた生地でもある。丈夫で気軽に洗えるため、農作業から浴衣、お出かけ着として幅広く使われた。そして何より、夏涼しく冬に暖かいとあって、この地でも日常着として愛されることになった。



さて、全国各地にいくつも産地がある中で、なぜ彼の地の木綿生地が存在感を示すことができたのか?それは高い品質とともに、会津縞と呼ばれる伝統的なタテ縞柄があったことに起因する。面白いことに、同地の中でもその地域ごとの縞柄があり、まるでイギリスで家柄を示したタータンチェックのように、その“地縞”を見ればどこの町の者かがわかったといわれている。時代を経て様々な柄が作られてきた会津木綿は、今まで私たちが思っている伝統織物より気軽でモダン。日常に取り入れられる生地として、益々認知が広まってきているのだ。


会津の空気を織り込んだ、柔らかくて丈夫な伝統織物。


ガシャガシャガシャガシャ。横糸を抱えたシャトルがアームに叩かれて左右に行き来し、タテ糸を整える筬がそれに合わせて上下する。上品で繊細に織られた生地とは裏腹に、その生産現場では無骨なシャトル機械が忙しなく動いていた。大声を出さないと会話ができないような音をたてる織り機の騒々しさとは逆に、生地は地道にゆっくりと織り上げられてゆく。明治時代より、トヨタ自動車の前身である豊田自動織機がシャトル織機を生み出し、各家庭で作られていた織物が産業となった。これによって機屋が誕生し、地域で愛されてきた会津木綿も全国に供給されるようになる。鶴の恩返しで想像される手織り機の原理を動力駆動にしたシャトル織機は、人の手で織るよりもムラなく織り上げることができ、それでいて木綿本来の素朴な風合いも保てる。シャトル織機自体はとうの昔に生産が終わってしまった。しかし会津木綿の工場では、経験豊富な職人さんが織機の状態を見ながら、今も大切に使い続けているのだ。現在、会津木綿の工場はたった2軒のみ。海外の安価な大量生産品の登場で随分と機屋が減ってしまったのだという。



(株)はらっぱは、後継者問題で廃業しかけていた120年続く老舗工場を引き継ぐかたちで始まったテキスタイルメーカー。「私たちは、伝統生地を特別なものとしてではなく、普段着として使ってもらいたいんですよ」。とは社長の言葉だ。伝統生地はどうしても手入れが必要でフォーマルというイメージがあるが、もともと作業着として使われていた会津木綿の進む道は、カジュアルにこそあるのだという。会津木綿は織り上げられた生機の状態ではハリがあって凛とした表情であるものの、使っていくとだんだん身体に馴染んでいくという特徴がある。これはでんぷん糊を付けた糸を使って織られるからで、洗濯を繰り返していくうちに繊維の間に微細な空間が出来て、次第にふんわりとした肌触りになるのだそう。実際に使い込まれた生地を触ると、明らかに生機とは違う、素朴な温もりが感じられるのだ。はらっぱの木綿は、太さの異なる糸を使用することにより、少し凹凸のある、独特の風合いを生む。糸撚り、染色、タテ糸巻き、ヨコ糸巻き、縦糸通し。全ての行程を人の手で行うことによって伝統が作られ、紡がれてゆく。



HOMME
FEMME

Photographers: Junpei Ishikawa, Yuki Akaba
Writer: Junpei Suzuki