糸の感触を確かめ、考え、織り上げていく。
ここでしか作れない生地、誰もが考えつかなかった生地。
遠州の小さな町工場が、世界を驚かせている。



天竜川からそそがれる綺麗な水と、あたたかな気候の静岡県浜松市は、綿花を育てる環境としてはこの上ない土地だった。木綿の生産が隆盛を極めた江戸時代なかばは、交通の便が発達していなかったこともあり、東京と大阪の中間に位置する浜松は綿の供給をするのに絶好の場所でもあったという。また、立地もさることながら浜松には日本を代表する織機メーカーがあったため、それが遠州織物が発展する下支えともなったのである。かくして遠州織物は泉州、三河と並ぶ、日本三大織物産地のひとつとして数えられるようになった。



福田織物は数ある遠州の機屋の中でも、異色を放つメーカーのひとつ。20年ほど前、外国産の安価な生地が国産産地を揺るがし始めた時に、このまま価格競争の世界で生地を供給していても仕方がないと判断し、卸販売を全て停止した。そして同社は、より日本の技術を生かした品質に特化したモノづくりにシフトチェンジ。彼らは糸の調達から販売を自社で一貫して手がけるようになった。そうすることでこれまでにない生地を生み出すことに舵を切り、長年使ってきた織機も一新。当時業界でも珍しかった、アパレルメーカーへ直販する機屋へと転身した。



その際、新たに同社が導入したのはレピア織機。大量生産向きとは言えないが電子制御の正確さを備えつつ、職人が介入することでオリジナリティ溢れる生地が織れ、糸に掛かる負担も細かく調整できる。生地幅も自由に変えられる織機は、福田織物の生地を生産する上で欠かせないものとなっている。「国内メーカーや海外メゾンと直接やり取りをすることで、お互いに妥協を許さいないものづくりができます。そして福田織物ならではの特色ある生地作りに力を注ぐのです。私たちを選んでくれるからには、なにか特別な生地を提供したいと考えているんです」。

浜松という小さな町を通り越して、いまや海外メゾンからオーダーを受ける2代目社長はそう語る。自らの技術力に自信を持ち、メーカーに直販する道を選んだ福田織物。その英断は周りを驚かせたそうだが、結果的には次世代の機屋のあり方を示すこととなった。こうして作られたのが、生地の向こう側が透けて見える程に薄くて軽く、肌に触れていて気持ちが良い、薄手のストール生地。細い糸は織機で織り上げる際に切れてしまうため、大変な技術と時間を要するが、研究を重ね、不可能を可能にした。誰もなし得なかった超極細、120番手の単糸を用いて織り上げた生地は、福田織物の代名詞となり、高い技術力の象徴となっている。


不可能を生地にする、革新的なモノづくり。


「遠州織物のためにも、もっともっと産地の特色を作って、産地全体の技術力を高め、そのうえで次世代に伝承をしなければいけない」今や極細番手の生地を作らせたら、世界でも福田織物の右に出る者はいないとも言われている。しかし、同社はそれを礎としながら、意匠的で特別な生地作りをするべく、新しい商品を生み出すチャレンジも続けている。



総合生地メーカーとしてあらゆるファブリックを生産している同社だが、この数年は逆に厚手の生地に力を注いでいるという。特に、遠州織物が得意としていたコーデュロイ生地の再興にも尽力中だ。また、数ある生地の中で最近注力しているというのが、今回アダム エ ロペでも採用された刺し子生地。刺し子とは東北で昔から作業着に使われていたもので、2枚の布を刺し子糸で縫って1枚にした、丈夫で味わい深い生地となっている。この手の厚手の生地は染織ムラもできやすく大量生産に向かない生地であるが、それゆえ町工場にアドバンテージもある。そして見事に福田織物は、大規模なファブリックメーカーでは作り出せない、個性のある、唯一無二な風合いを作り出すことに成功した。太さや撚り方の異なる4種類の糸を使いながら織り上げることによって表情を出しながら、裏地と表地の縮率の違いによって凹凸感を出した福田織物の刺し子。本来は粗野なものであるが、この刺し子生地は肌触りもよく、どこか上品な雰囲気も感じられる。一見すると硬く重量感があるように感じられるものの、実際に触れると驚くほど軽やかで、そして柔らかいのだ。






Photographers: Junpei Ishikawa, Kentaro Yamada
Word: Junpei Suzuki